メキシコシティ(国立人類学博物館・テオティワカン遺跡)


1月8日 いざメキシコシティーへ
 サンディエゴの空港からメキシコシティーまでは1回乗換えで6時間程かかった。シティーの空港出口からタクシーでホテル シェラトン・マリアイサベルへ。空港出口の手前左側に売り場でタクシーチケットを買って、タクシー待ちの列に並ぶ。料金はドル払いで$14+チップだった(タクシーに乗り込む際に、荷物をトランクへ積んでくれる人がいます。その人にも荷物1個につき1ドルのチップが必要)。
 ホテルに着いたのは夜8時過ぎだったので、翌日に備えて早めに寝た。
 シェラトンマリアイサベルはビジネスホテル風の雰囲気で、部屋が少し広めだった。


1月9日 国立人類学博物館
国立人類学博物館  国立人類学博物館へ。館内は広く展示物の数もすごい。展示物の説明書きの多くはスペイン語だったので、なんだか分からないものが多かった。仕方なく有料でリモコンのガイダンスをレンタルしたけど、英語が小難しくてよく分からない。館内のあちこちで団体さんを案内しているガイドさんの中に簡単な英語で説明している人を見つけたので、そ知らぬ顔をしながらついて回ったりもしたけど、途中でうまいこと撒かれてしまった。
展示物の一部を見る


 博物館を見学した後ホテルへ一旦帰るため、バスに乗ってみることにした。バスの多くはほぼ満員だったけれど、レディーファーストのマナーはメキシコでも常識で、アメリカと同様、どんなにギュウギュウ詰めでも女性と子供は必ず座れる。私は子供を抱っこしながら運転席近くのスペースに座らせてもらった。こっちの車は運転がものすごく荒く、しかも入り口のドアは開けっ放しで走る。しかも、運転手のお兄さんは子供が大好きらしく、娘を膝に抱っこしながら走るし。事故でも起こされたら大変だしヒヤヒヤもんでしたが、まあお見事なドライビングテクニック(真似しないで下さいね)。そして、「着いたよ!」と下ろされたのはソカロ広場近くで、ホテルとは全然違う場所だった。でも、陽気で気さくなメキシカンはにくめない。
 予定外とはいえ、せっかく観光地付近まで来たのでソカロ広場へ行ってみた。


 スペインが来る前のメキシコシティーは湖だったそうだ。アステカ人は湖に浮かぶ島の上にテノチティトランという都市を築いていて、まるで湖上に浮かぶ都市のように見えたそうだ。スペインはここを征服するために、それまでの都市も湖も全て埋め立てて、その上に石造りのどでかい建造物をガンガン立てたものだから地盤沈下を起こしてしまい、その時に立てた建造物はどれもかなり傾いている。

 大きな広場にはたくさんの人が集まって、思い思いに過ごしている様子だった。アステカの踊りも見ることができた(写真:中)。  現在は国立宮殿として使われている建物の右側は大統領執務室、左側は大蔵省。内部に入るとフリーダ・カロが10年の歳月をかけて完成させた壁画があり、メキシコの歴史や文化の変遷が目で分かるようになっている。とはいえ、ガイドさんの説明なしにこの絵の素晴らしさを理解するのは難しいと思う。ちなみに内部の廊下も傾いている。

 メトロポリタンカテドラル(写真:下)も外からはっきりと分かるくらい傾いている。入り口から入ると緩い下り坂になっているほど。教会の中には、建物がどれだけ傾いているかが分かる振り子がある。  


 ソカロからホテルまでは地下鉄を使って帰ることにした。メキシコシティーの地下鉄は危ないようなことを聞いていたけれど、実際は大したことなく、スリに合わないように気をつけてさえいれば大丈夫そうだった。アメリカでもメキシコでもそうだけれど、地下鉄でも私と娘は必ず席を譲ってもらえた。
 インスルヘンテス市場の近くがホテルからの最寄の駅だったので、そこで下車して多少迷いながらホテルへ戻った。この辺りはお店がたくさん集まっていて賑やかだった。途中、ベーカリーでパンをいくつか買ったが、どれも美味しかった。


1月10日 テオティワカン遺跡

 メキシコシティー中心部から車で1時間ほどのところにテオティワカン遺跡がある。
 最盛期の推定人口は20万人。当時、世界中でこれほどの人口を擁していた都市はテオティワカンとローマのコンスタンチノープルだけだったと言われている。
 この巨大都市を最初に発見したのはアステカ人で、彼らは、神のお告げにあった場所を求めてメキシコの北から南へ旅をしていた途中だったらしい。発見された時にはもう既に滅んでいた。この遺跡については文字の解明も未だ進んでいないため、今でも謎が多く残る。
 テオティワカンでは、王族・貴族・神官などの最高位の人々と商人・農民などの一般庶民が同じ場所に住んでいたことが分かっている。これはメソアメリカの他の文明には見られない特徴だそうだ。
 最初に登ったのは「月のピラミッド(写真:一番上)」。どちらのピラミッドも、Kazuが娘をおんぶ紐で背負いながら登った。標高2000mの高地なので、ちょっと登っただけで酸欠気味になる。高さは42m。階段の傾斜が急で、1段1段の高さが30cm以上あるのに幅は20cmちょっとしかなく、登りはしんどく、下りは滑り落ちそうで怖い。頂上からは「死者の道」と呼ばれるメインストリートが真正面に延びていて遺跡全体が見渡せる。
 次に登った「太陽のピラミッド(写真:一番下)」は、世界で3番目に大きいピラミッドだそうだ。高さ65m、底辺は225mもある。でも、月のピラミッドよりも階段が緩やかなので案外ラクに登れるし、降りるときの恐怖も少なかった。年2回、太陽がこのピラミッドの真上に来て後光のように重なるよう計算されて作られている。
 遺跡見学には、日系旅行代理店(メキシコ観光)のオプショナルツアーを利用した。英語のツアーと比べて料金は2倍だけれど、遺跡めぐり以外のメキシコの文化・生活様式から細かい歴史の変遷や現在の政治経済事情に至るまで、時間のある限り丁寧なガイドをしてくれたので、決して高くはないと思った。


 テオティワカンは日差しがとても強く、サングラス、帽子、日焼け止めは必須だけれど、標高が高いので風は比較的涼しく心地良かった。  


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